PANDA30
イタリア中部の世界最古の大学を持つ、瀟洒な街ボローニャからやってきたFIAT PANDA 30。
1984年モデルの空冷二気筒のこのクルマは、イタリアのFIAT登録機関「REGISTRO FIAT」にも登録されている一台。
この町のパンダ好きのファビオというおっちゃんが2015年ころにレストアした個体だ。
レストアといえば、いわゆるスポーツカーやレアなクルマならともかく、このパンダのような一番ベーシックなクルマをフルレストアするケースは非常にまれだ。
本国FIATが最近はじめたHERITAGE部門でさえ、30の仕上がった個体はなかなか手に入らないと嘆いていたくらいだし、少なくとも10年以上イタリアで暮らしていたが、お世辞にもキレイな個体に出会ったことはない。理由は簡単で、あまりにも人気があり、たくさん売れた初代PANDAはさんざん使い込まれて土に還り、40年の間に市場から消えてしまったから。
ここ数年の旧車ブームの勢いはすさまじく、いろんな角度で過去のクルマが見直されている。
2020年に生誕40周年を迎えたPANDAは、現地イタリアの雑誌やTVでもてはやされており、様々なプロジェクトもはじまったようだ。が、時はすでに遅し。なんとか二代目のボディを使い、一部初期型のパーツを使用して再現しているのが現状だ。
そんな今となっては貴重な「生きているPANDA 30」だが、すべてはファビオ氏の先見の明…、もとい変態的な愛があってこその賜となった。
愛の深さ=話の長さ
イタリアの個人売買時によく起きるコトは、自分で売りに出しているのに、急に売るのが惜しくなりドタキャン。嫁や彼女との思い出をふと思い出してドタキャン。
娘が泣きついてきたのでやっぱり売らない…。まあ、いろいろある。
間違いなく日本人以上にクルマとの距離感が近いイタリア人にとって、クルマとの別れは家族との別れ。なので、手塩にかけてレストアしたかつての安価な自動車だとはいえ、きちんとしたリスペクトと、正しい手順を踏まなければ、せっかく交渉成立しても納車されるとは限られないのだ…。
おしなべて手をかけたクルマを手放す場合、大げさではなく金額よりも、売り先の人物やどういう乗られ方をするのかをとっても気にする。個人的にはとっても良く理解できるのだが、車屋商売としては、そんな不安定な仕入れなんてあったもんじゃない。でもそれがイタリアなのだ。
だから、ファビオは言う。
「とにかく見に来い。フィレンツェからすぐじゃないか!」(いや、私は東京だって言ってるのに...。)
2020年の秋といえばCOVID-19が猛威を振るい、イタリアでは相当数の死者が出ていた時期。もちろん外出にもかなり厳しい規制が行われていた。そんな中、電話やWhatsappなどで連絡をとっていたのだが、やはり手塩にかけて育てた我が子の嫁ぎ先のことが気になって仕方がない。
頑として譲らないファビオの熱意に負けて、ついぞ規制が緩まったタイミングでウチのスタッフにボローニャまで出かけてもらい、改めて「パンダちゃんを交えての」ビデオ会議をおこなうことになった。
いつかその日が来る!ということで、ボディパネルや内装を買いだめしておいたとか、冷えやすいFIATの冬の必需品であるラジエーターカバーは必須だぞとか、いかに初期型のラジオのアンテナが珍しいかなどの講釈をさんざん聞かされたあげく、文字通り丹精込めたレストアの風景の写真をたんと見せられた。愛車の長い自慢話は実にいい。間違いなくクルマの話の長さは愛情の深さに比例するから。
そんな一連の誕生から成人までの逐一の説明が終わり、ようやく嫁入りを許されたPANDA 30はやがて日本へのお輿入れを許された。
そこまで愛したクルマをなんで手放すのか? そんな単純な疑問を投げかけると
「コロナで暇なんで、次のクルマをレストアしたいんだ…。」
筋金入りのクルマ好きってことですね。
ちなみに、日本には数台ではあるがPANDA 30が生息している。
今回の30の日本でのナンバー登録にあたっては、他でもない先輩がたのご助言、ご助力をいただいた。様々な障害もあったが、なんとか無事にコトが進んだのは他でもないこの先輩方のお力によるものが大きい。改めて御礼申し上げたい。
わずか652ccの排気量のPANDA 30。30が意味するのは馬力だ。今の基準からするとずいぶんと非力。でも、今の東京の街中を走っていても不思議とストレスはない。高速道路だって走れる。ただ、自動車というよりは自転車に乗っているような不思議な速度感覚で、単純に非力とか遅いといった類いのものではなく、なんとも独特の走りと操縦体験をさせてくれる。
加速感や乗り心地、騒音など複合的な要素が原因だとは思うのだが、不思議と信号のタイミングともマッチしており、度重なる信号やちょっとした渋滞にもイライラすることもない。自転車やバイク、歩行者にもずいぶんと優しくなっている自分がいることに気づく。街の景色もじっくり楽しめるし、それでいて目的地までの時間がこれまで以上にかかることもない。ちょっと不思議な体験である。
PANDA自体はさほど珍しいクルマではないので、一体どのくらい日本で目立つのか気にはなっていたが、外車ひしめく都内でも交差点で写真を撮られることが多く驚いた。
信号待ちで隣近所のクルマやバイクからスマホで撮影なんてこともかなり多い。
こうした現象がとても多いのは、やはりジウジアーロ先生の秀逸なデザインのおかげなのだと確信した。
もう一ついうと、女性や子供たちからの反応が非常に多いのも特徴。
駐車場では子供にからまれことしばしば。ガソリンスタンドやSAでは女性からかわいいクルマですねと褒められる。それも一度や二度ではない。
なぜかご高齢の女性に「えらくかわいいのに乗ってるねえ」なんて言われている。
挨拶だってろくにしなくなった日本で、こりゃ悪い気がするはずがないし、見ている人もきっと喜んでくれているのだろうと思いたくなる。
Bluetoothのスピーカーをダッシュの物入れに放り込んで、音楽を聴きながらのんびりと走り、近所に買い物にも出かける。たったそれだけのことでも久々に道中が楽しいという感覚になる。
コロナ禍ですっかりすさんだ心を癒やすには十分なクルマだと痛感した。
峠をガンガン走りたいとか、高速道路をぶっ飛ばしてという、スピードに快楽を求めるのではなく、乗っている時間や走っている道を存分に楽しませてくれる。
高いデザイン性とキュートな存在感をたっぷりと感じさせてくれる40年前のアシ車。
やはりデザインの力は偉大だと改めてそう思わされた。