FIAT 127
フィアット127は、1971年の欧州カーオブザイヤーにも輝いた一台で、イタリアのみならず欧州各国で大ヒットを記録した傑作小型車。
そのフォルムはご覧の通り独創的ですが、それもそのはず。
実は現在2BOXと呼ばれる小型車デザインの源流ともいうべき革新的なデザインだったのです。
小さい・広い・心地よい
もちろん、モノのカタチの善し悪しは、個人の好みでわかれてしまうので、無理に押しつけるつもりはないのですが、わずか3年で100万台を売ったという事実が裏付けるのは、様々なシーンに溶け込むデザインと、高い走行性能と居住性なくして達成されたモノでは無いはずです。つまり、どんなシチュエーションにも溶け込むチカラがあったということではないでしょうか?
そんなエポックともいえるフィアット127をデザインしたのが、当時
「現代イタリアのデザインにおける、新しい流れの最も真面目な発明家の1人」
とまで言われた若き天才、ピオ・マンズーというデザイナー。
クルマのデザインといえば、ジウジアーロやガンディーニといった名前が日本では有名ですが、このピオ・マンズーさんは、家具やデザイン好きな方なら「えっ? あの人の?」ってなるような人だったりします。
Pio Manzú
ピオは、20世紀を代表する彫刻家を父に持つサラブレッド。
若い頃からその才能を認められ、大学を出てすぐFIATやNSU、ピレリやレカロ、BASF社という名だたる欧州の大企業幹部から目を付けられていました。
20代そこそこで、来るべき自動車社会を担うイタリアの都市交通や都市計画にも参画し、日本の大御所、丹下健三とも議論を交わしたり…。一方で、目利きで有名なあのフィアット会長宅の家具のデザインを任されたりという、絵に描いたようなエリート街道を突っ走っていました。
そんなピオは28歳という若さでありながら、70年代の主力車種となるべく開発されたフィアット127のデザイナーに抜擢されました。
さらに、フランスのルーブル美術館における展示会「Bolide Design」では、ただひとりの非フランス人でありながら展示車両の選択までも任されたりと、本当に将来を嘱望されていた卓越した才能の持ち主であったことがうかがい知れます。
しかし、人生良いことばかりでは無く、この若き天才はなんとこの127の完成を見ることなく、30歳という若さでこの世を去ってしまいます。(交通事故)
とまあ、ウンチクはこの辺にして…。
イタリア車の魅力の1つに、飽きの来ないデザインというものがありますが、それは見る角度や時間などが変わると、印象が変わるということが挙げられると思います。よくイタリアの自動車は「写真と全然印象が違う」というものがありますが、この127もその典型といえます。
ご覧のようにモダンな空間にもフィットするデザインは、やはり立体作りの天才、イタリア人の仕事だといえるでしょう。
2022年。デビューから50年以上が経過したこのフィアット127。
風切り音やエンジンノイズこそ、現代のクルマとは比較できませんが、それでも300km、500kmといった長距離移動が苦になることもありません。
たっぷりと荷物を載せ、人を乗せ、楽しく快適にドライブをエンジョイすることができます。
>というわけで、1970年初頭のFIAT社制作の映像をご覧ください。
全編イタリア語のかなりアバンギャルドな映像ですが、その雰囲気は伝わると思います。
©Centro storico FIAT